先日、「ご利用者さんの爪切りは誰が担当するべきか」といったテーマで、介護職員と看護師の業務分担を話し合う機会がありました。
かれこれ6年ほど私が勤めているグループホームに、初めて看護師が入職したことから、業務分担の見直しが始まったのです。回覧用紙に記された介護職員の意見は、爪切りは看護師がするべき業務との声ばかりでした。
「体調・身体管理は看護師の業務だから、爪切りも看護師がするべき」
「切りづらい爪の人がいるから、看護師に切ってもらいたい」
「せっかく看護師がいるのなら、介護職ではなく看護師にやってもらいたい」
出揃った意見を後からまとめて見た私は、予想外の展開に思わず目を疑ってしまいました。ここでいうご利用者さんの爪切りとは、水虫や巻き爪などの病気ではない健康な爪の爪切りなので、もちろん介護職が行っても問題のない介護です。
爪切りは看護業務であって、本来は介護職がすべきではないと思っているといった勘違いであれば、まだ良かったのですが、職員の意見の意図を汲むと真意はもっと奥深くに隠れていることに気がつきました。
おそらく、意見した職員さんのなかには介護業務と看護業務に明らかな線引きがあり、体調・身体の状況を観察したり健康を管理するのは看護業務だとする認識があるのです。その介護職としての役割の認識にあるズレに、私は違和感を覚えました。
爪切りに留まらず、このような誰が担当するべきか論争は介護現場にたくさん飛び交っています。私も特別養護老人ホームで働き始めた当初、恥ずかしながら意見した職員さんと同じような考えがありました。「ご利用者さんのお手伝いをすること=介護」といった、お手伝い精神が頭のどこかにあり、介護士としての責務などは考えてもいませんでした。ご利用者さんの微熱や身体の傷の処置などはすぐに看護師に相談すれば、あとはお任せで看護師に何でもしてもらえる、むしろ異変を伝えるだけがご利用者さんの体調不良時に介護士の自分のすべきことだとすら思っていました。
そんなひよっこ介護職でしたので当たり前ですが、看護師に何か報告するたびに「他に報告することはない?」と厳しい目で問い直されていました。やむなく再度記録を確認したり、ご利用者さんを観察したり、集められる情報を集めて報告しなおすことを繰りかえしているうちに、本来自分がすべき仕事はもっとたくさんあったことに気付き、徐々に自分の抱いていた考えを改めていきました。
不十分な報告が差し戻されたのは、介護士としてご利用者さんの観察が不十分であり、異変や気付いたことを言葉にする能力も足りないことの裏返しで、「きちんと自分のすべき仕事をしなさい」という看護師からのメッセージだったのでしょう。おかげさまで介護士としてしっかり観察ができるようになっていくと、それに伴うように任される仕事も増え、それがまた自分自身の自信にもつながっていきました。
ご利用者さんの介護をする以上、たとえば入浴介助ひとつをとっても、ただむやみに髪や身体を洗うだけならば、洗車機とさほど変わりがありません。服を着脱するときの動作や肌の状態を確認し、肌の様子に合わせて洗う。湯船のなかでリラックスしてもらいながらコミュニケーションをとり、本音を聞く。介護士はご利用者さんの生活の一番身近にいるからこそ、その介助の場面で体調や身体の状況を観察できます。動作だけでなく、その周辺情報も収集できてこそ、介護士としての介護なのだということも教えてもらいました。
結局のところ、「これは自分の担当すべき仕事ではない」と勝手に決めつけて、仕事をしないでいると、自分の仕事の幅は狭まる一方で行きつく先はどん詰まりなのだと思います。逆に、できないなりにも努力し取り組むことで、できることが増えていくと、道は自然と開けてゆくのだと思います。できることが増えれば増えるほど、相手に還元できるものも増え、多くの喜びをつくることができます。そして多くを貢献できることで、相手の喜びにも多く触れることができ、それがやりがいの元にもなるのです。
自分にできることもせずに他者に責任を転嫁しているままでは、介護職の社会的地位やお給料も上がらないのは当然でしょう。厳しくも優しかった看護師さんが言ってくれた「そこには、あなたのやるべきことはないの?」という言葉を思い出し、背筋を伸ばします。(影山)