仕事探しをサポートする流れで、生徒さんの研修中は知らなかった一面に出会い驚いたり、ここにたどり着くまでの波乱万丈ないきさつに若輩者は息をのんだり、教えていただくことがたくさんあります。
そして、つながる先の施設・事業所の担当者さんとも取材や見学を重ねて少しずつお互いを知り、考え方や想いを聞かせてもらえることが私の仕事をする上でのひとつの楽しみになっています。
近しい人にいくら注意され、素直に反省できないことも、それぞれの施設や事業所を盛り上げ、率い、最前線で働く人の助言はバイアスのない言葉としてまっすぐに届き、行いを振り返り冷静に顧みるきっかけを与えてもらえます。
とある介護施設の施設長さんが教えてくれた知恵は、私の背筋をピンと伸ばし、目の前のモヤを晴らす手がかりになりました。それが、「できない自分を受け入れて、できる人はなぜできるのか考える」という、ものの考え方です。もう知っている人からしたら、なんだそんなことかと思うことかもしれませんが、これができないがばかりに悩んでいる人は少なくないと思うのです。
もちろん私も、それができないがばかりにしてきた苦労は数知れずです。
たとえば、特別養護老人ホームで働いていたときも、素直に先輩を頼ることができず、教えてもらうべきことを尋ねられない可愛げのない新人時代を過ごしました。「教えてください」そう素直に聞けさえすれば簡単に教えてもらえるのに、「できないと思われたくない」という自我がその言葉をさえぎり、どうしても聞けませんでした。
時が経ち、今度は私が新人職員を教える立場になりようやく、新人職員ができないのは当たり前で先輩職員は気にもしていないことに気付き、聞けなかったがゆえの回り道を後悔しました。私の場合は、できないと思われることが恥ずかしく感じる他者からの目を気にしすぎる面が、自分自身ができないと認める邪魔をしていました。
またある時は、担当になったご利用者さんとの関係が上手くいかず、私の前を不機嫌そうに去ったご利用者さんが先輩職員と楽し気に会話しているのを見て、悔しくはなりましたが、「先輩は私よりも長く働いているから、ご利用者さんと仲良く過ごせるのだ」などとすぐにできない自分を棚に上げ、かばい、慰めてしまってばかりいました。
当たり前なことですが、教わらずともできることには限りがあり、できない自分をいくら慰めたところで状況は好転しません。さらに、意地でもできるようになろうと大事な時間を多く費やしてもなお、半分ぐらいの完成度にもっていくのがやっとで、満足のいくできあがりには程遠いものです。
できない自分を認められず、できる人がなぜできるのかと前進させる考え方をたどれないのは、
「弱さゆえだよ」と、見透かしたように施設長さんは付け加えてくれました。
そう、弱さゆえにできない自分を受け入れられず、その先に進むこともストップをかけてしまう。では、どうしたらその弱さをコントロールできるのだろうかと考えたところ、何かできないことやうまくいかないことがあった時に、その原因のベクトルを他者ではなくまずは自分に向けて考えてみることが重要だと思いたちました。
先輩職員とは楽しげでも自分とはうまくいかないご利用者さんとの関係であれば、その原因はご利用者さんでも先輩職員でもなく、自分。その前置きができればそのあとは、なぜ先輩職員はできるのか考えればいいのです。いうなればひとつのお手本であり、成功例が目の前にあると思えば、ヒントは多くあることに気付きます。そうすると、先輩職員さんがご利用者さんのひいきにしている野球チームに詳しいことや、自慢の息子について語るご利用者さんに子育てについて教えてもらっていたりすることなど、自分に足りなかった部分が見えてくるはずです。
私にとっては、できない自分を受け入れるというファーストステップが試練ですが、令和の時代を迎えたことを機に、平成ではできなかったことに挑戦してみようと思います。
(影山)