ある日、いろいろな種類の音声ガイドに触れてみたいと思い、DVDを借りてきて、テレビ画面にバスタオルをかけ、音声ガイドで映画を見てみました。
しかし、映像の想像をするのに脳の処理速度が追い付かず、10分ほどで内容についていけなくなり、目で画面を見て、音声を聞く、普段どおりの鑑賞に戻してしまいました。映画自体が退屈な作品だったわけではありません。ありとあらゆる情報を音声ガイドから得ようとしてしまい、どうやっても100%は想像することができなかったのです。何かをあきらめて観ることに慣れていませんでした。
けれども、別の機会に違う映画の江戸時代の剣士の戦いシーンを見た時、音声ガイドのイメージはガラリと崩れました。
セリフのない俳優さんたちの表情や動きで見せるそのシーン、いつものように目で見るよりも、音声ガイドで見る方がより細かく、繊細な美術品を見ているような気分になり、心地良かったのです。それは、小説を音読してもらっているような感覚でした。登場人物に合わせて声優さんがセリフを話し、情景などを音声ガイドが話してくれている。
音声ガイドは、他者のフィルターを通して映画を見る、人の視点を借りて世界を見る疑似体験なのだと思いました。
講座を受け終わってみると、音声ガイドは、字幕のように映画を補助する福祉的ツールというよりは、私たちにとっての映画の楽しみ方のひとつなのではと感じました。
同じ短編映画に対して音声ガイドをつけてきているはずなのに、それぞれの受講生の音声ガイドにはひとつとして同じ表現(言葉)がないことにも驚かされました。映像のどの情報を拾うのかは人によって違いますし、持っている表現力や語彙力によっても違った音声ガイドが生まれるのです。
それはつまり、ひとり一人の映画の見かたが違い、楽しみ方も違うということでもあります。私たちは音声ガイドをつけてみることで、今までよりもよく映画を観て、より深く映画を楽しめるのです。
最近では、音声ガイド付きの映画の上映も急速に増えていますが、まだまだ全ての映画に音声ガイドがついていないのが現状です。映画の視覚情報というバリアーを取り除くことができれば、視覚障害のある人ももっと映画を楽しめるのです。
(影山)
第3回:「想像力というのは大きな大きな世界なんだ。言葉でそれを小さくしないでほしい」