「支援する人・支援される人ではなく、フラットな関係が新鮮で、出会えたことが嬉しかった」
昨年の私たちの結婚式に参加してくださった、障害のある息子さんとそのお母さまからの言葉に、一緒にその場を楽しんでくれた参列者の方への感謝もまた蘇りました。
招待状が参列者の手元に届いたころ、重度の知的障害と自閉症のある息子さんが、緊張のあまりに大声を出してしまったり、他の人に迷惑をかけるかもしれないからとお母さまから、一度は参加を見送ると連絡がありました。
泣く泣く辞退を決めた気持ちは察することもでき、何より、初めての体験、大勢の人、見通しがつきづらいプログラム、また緊張の連続になるだろうことで、息子さんが辛い思いはしないだろうか・・・。思案は続きましたが、それでも「友達だから呼ぼう。みんな分かってくれるから大丈夫」
来てもらいたい気持ちを引っ込めずにお願いしたところ、親子共に来てくださることになりました。
迎えた当日、スーツに身を包んだ息子さんは、他の参列者と同じように、慣れない場所に最初戸惑いは見えましたが、時折笑顔をうかべて彼なりにその場を楽しんでくれているように見えました。
大きな声が出ている場面でも、周囲はなんら変わらず、時間は流れていました。
障害のある人の周りは、支援する人と支援される人で関係が作られてしまいがちです。障害のある人は小学生もしくはそれ以前から、障害に合った支援を受けるため、特別支援学級や特別支援学校で教育を受けます。そのレールに乗っているだけでは、障害の程度が重度であればあるほど、自然といわゆる健常者と関わる機会が少なくなります。信頼のおける支援する人の存在は、支援される人にとって大切な存在ですが、フラットな関係とは異なります。現に、知的に重度の障害がある私の妹には、健常者の友人はいません。
私たちが結婚式に息子さんを招いたことだけでは、おそらく息子さんがその場を楽しむまでには至らなかったのではないかと思います。楽しんでくれたのはきっと、障害の有無とは関係なく、みんなが招待された私たちの友人である、フラットな関係で出来た空間だったからこそだと思うのです。空間を作っているのはやはり人で、それは大きな社会においても変わらないのだと感じました。
「きっと大丈夫」と、根拠はないながらも参列者を信じて踏み切ってみたことで、素敵な時間を友人みんなと過ごすことができて本当に良かったです。
(影山)